2011-09-14



「命の重さ」

7円…急性の下痢による脱水症から子どもの命を守る経口補水塩1袋
13円…ポリオ経口ワクチン1回分
65円…1錠で4~5リットルの水を浄化できる浄化剤50錠
436円…使い捨ての注射器50本
545円…10リットルの水を運搬・貯水することができる折りたたみ式の貯水容器3つ
763円…ワクチン用保冷箱1個(熱に弱いワクチンを一定の温度に保った状態で運搬できるようにするための器材)
1199円…子どもを持つ親1人分の抗レトロウィルス剤、1カ月分
1199円…栄養不良の子どものために特別に開発された、高カロリービスケット20箱
1853円…使用済みの予防接種用注射器と注射針を安全に廃棄するための箱25個
1万0900円…はしかから子どもを守るための予防接種用ワクチン700回分
2万1800円…子ども1人分の抗レトロウィルス剤(液状)、1年分
10万9000円…子ども1人に対する抗レトロウィルス治療、5年分
65万4000円…緊急保健キット1キット
196万2000円…移動式浄水装置1基。1万5000人に安全な飲料水を提供することができる
9600万0000円…一人の先天的な心臓疾患を抱えた劣等DNAを持った子供が一人だけ救われる



「犬」

おれがいた組織ではな、訓練が始まる前に全員に子犬が配られるんだ
その子犬と寝食を共にし、一緒に訓練課程を消化していく
1日分の食料と水、ペイント弾を装填したMP5を背負って森に放り込まれる
雨の中泥の中に埋もれて1週間の殺し合い演習、ペイント弾を食らえば即、脱落
犬といってもな、辛い地獄のような訓練を共にすれば絶対的な感情が芽生えてくるもんだどんなに辛い環境でも、小さな命が近くにいるというだけで安心できる
相棒のようなもんだったよ本当に

で、訓練最終日、与えられた最後の訓練課程はなんだったと思う?
それまでの地獄のような訓練を生き抜いてきた奴の大半がそこで脱落していった
訓練内容に納得できずに泣き出す者、嗚咽をこらえて動かない者
教官に殴りかかる奴までいたよ

だが俺は食った、無心でな





「チワワ」

自分の犬を売ったよ
58000のチワワを1000で
泣きながら売ったよ
産まれた時から一緒でさぁ~可愛いかったなぁ
1年間ずっと一緒
辛い時も嬉しい時も寝る時もさ・・・
泣いてたら必ずペロペロして来て、どこに行くのも付いて来て
俺にとって唯一の家族だったんだ
泣きながらスロットした
負けたよ
俺さぁ
何やってんだろ



「ニューヨーク」

本日は、ニューヨーク発ロンドン行きBA602便をご利用いただきありがとうございます。
私は、機長を務めるシンクレアです。
ただ今、当機はちょうど大西洋の真ん中を高度35,000フィートで航行しております。
やや南よりの風。天候は晴天です。

右の窓から機外をご覧ください。
エンジンが火を噴いているのが見えると思います。

左の窓からは、翼の亀裂が広がっているのが確認出来るかと存じます。

さらに、下の方、遙か海上をご覧ください。
黄色い小さな救命ボートに三人の人間が立ち上がって手を振っているのが見えるでしょうか。
私と副操縦士とスチュワーデスです。

では、皆様の幸運を乗組員一同お祈りしております。
なお、このメッセージは録音です。




「福島からの子供」


息子が福島からの被災者の子供とこっそり遊んでいた事がわかったので
私は泣きながら息子を叩き風呂にいれて何度も何度もゴシゴシ洗ってやって
放射能がどれだけ恐ろしいか教えました
息子も涙ぐみながら話を聞いてくれました
これで正しい行動を取れる子になってくれるはず


「新聞配達の少年」

特番で後味悪すぎて現在進行形のやつ。
新聞配達の少年がたまたま通りかかったDQNのガキ集団にリンチされて昏睡。DQN放置。
4時間後に心配して探していた母親が発見。
命を取り留めるも知的障害、記憶障害、顔面麻痺、指先の機能障害が残ってしまい、
進学を諦め学校を退学せざるをえなくなった。
成人して暫く経つが仕事がみつからない。勤め先をつてを頼りに公務員の障害者枠に入れ、
事務や雑用をこなすようになる。
その姿をカメラで撮影。両親が控え室からモニターで見て
「よかったね。ああ、ちゃんと仕事を覚えられるんだ。忘れないんだ。よかったよかった。」
と涙を流していた。
取材中、チェーンの飲食店で記者と差し向かいでハンバーグ食べるシーンがあるんだけど
「口が閉じられないんだ。だからこうしてるの」と
咀嚼のたびに手で顎と唇を閉じているのが悲しかった。
手を添えないと顎がだらりと下がってしまう。
「熱いうちに食べて火傷しないの?」の問いに「美味しいものは熱いうちにたべたいから」
と麻痺した顔でぎこちなく笑うのが今思い出しても胸苦しいわ。
彼は一生後遺症に苦しまないといけないんだから。
一方DQNのガキどもは一番重い刑で1年ぐらい少年院に入って
みんな結婚して子供作って普通に暮らしているという。



この先は自分が一番グサッときたやつ

ってか泣いた「ある土曜日の朝」


ある土曜日の朝。
妹「おはよー!」
俺「・・・はよ。早いね。いつも休みの日は昼まで寝てる癖に」
妹「お、お昼までなんて寝てないよ! ・・・十時くらいだよ」
俺「はいはい。で、どうしたの? そのバッグ」
妹「ああ、うん。連休だから、久々に○○ちゃんのとこ遊びに行って来る。憶えてるでしょ? ○○ちゃん」
俺「ああ・・・どっか引っ越してった、キミの親友だっけ。何度かウチにも遊びに来てたな」
妹「そうそう! 密かにお兄ちゃんの事気に入ってたんだよ?」
俺「そりゃ初耳」
妹「あはは・・・あたしも子供だったからね。黙ってたんだよ」
俺「何でまた」
妹「う・・・分かんないなら、いいの!」
俺「ふん・・・で、もう行くの?」
妹「うん。もう出るよ」
俺「そ。気をつけて」
妹「うん。おみやげ買って来るからね?」
俺「変な気まわさなくていいから、楽しんでおいで」
妹「・・・ありがと。じゃ、行って来るね」
俺「行ってらっしゃい」
以上、妹との最後の会話。
お帰り、は毎年お盆の時期に言ってます。

=======================

小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。


======ラスト=======


私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。

ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。




葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。

私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。

それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。

その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。

今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。





自分は明日テストがあります
2回目の入院があけて、学校行けると思った日がテストです


リアルに死にたいTT
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コメント 3

otemoyan

おはよ。
試験どうだった?
お疲れ様!!

リアル▲にたい

とか簡単に言わないよーに(>_<)
姐さん泣いちゃうよ。

次回記事は明るい記事を書いてね。
記事みたら滅入っちゃったじゃん(T_T)
by otemoyan (2011-09-15 11:43) 

クロノ

大丈夫か、心配だ。。
無理はしちゃだめだけど、しんじゃったらやだよ
しんどかったら泣いてもいいんだからね(´・ω・`)
by クロノ (2011-09-15 18:48) 

404

読んだよ~
by 404 (2011-09-25 04:10) 

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